信濃毎日新聞MGプレスに掲載いただきました

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病気の子どもやその家族が笑顔になり思い出をつくる手伝いがしたい―。
そんな思いを持つ有志が、県内に小児緩和ケア施設を造ろうと立ち上がった。
「信州こどもホスピス実現プロジェクト」だ。
代表の白鳥信博さん(50、松本市庄内3)は今年9月、長男の佑樹さんを病気で亡くした。
まだ19歳の若さだった。家族の協力も得て、自身は自宅で佑樹さんをみとることができた。
しかし、さまざまな事情で最期の時を家族で過ごせないケースもある。

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「そうした子どもや親のためになれば」と信博さん。少しでも心豊かな時間を過ごせる施設を県内に設ける取り組みが始まった。

息子の佑樹さんとの別れ 自宅での闘病白鳥佑樹さんが体調不良を訴え始めたのは昨年の1月だった。頭痛、吐き気、不安定な歩行、そして右目の斜視…。内科を受診したところ、急性胃腸炎と診断された。その後も同じような症状が繰り返される。

受診した心療内科で医師から言われた「心に原因があるかもしれない」との一言が、今も心に残る。「わざと不安定に歩いているのではないか。家庭でさみしい思いをしているのではないか」
斜視がひどくなり、眼科で水頭症と診断。2月には脳腫瘍の小児脳幹グリオーマであることも判明、残された時間はあまりないと告げられた。

「病名を聞いてその場に膝から崩れ落ちた。診察室を出て隅の方でしばらく泣いていた」と信博さん。「どうして佑樹が」。そんな思いで頭がいっぱいだった。
3月に水頭症の手術を受け症状は落ち着いたものの、放射線治療も受け、吐き気や脱毛などの副作用に悩まされた。

何よりつらかったのは医師から「放射線しか方法はないが、治すためというより、進行を遅らせるための治療しかできない」と言われたことだ。本人には伝えられなかった。「半年から1年」。余命が告げられた。 

腫瘍は、脳幹から小脳、中脳まで拡大。自宅療養を選んだが、徐々に体の自由が奪われていった。食べられなくなり、点滴で栄養分や薬を摂取。
弱音を吐かなかった佑樹さんが「死にたい」と紙に書いた時は「身を切られるようだった」と信博さん。最後は唯一動いた右手の指で意思疎通をした。

亡くなる3日前に佑樹さんは妹の明日香さん(17)と博信さんに親指を立て「ありがとう」と伝えた。母の喜代美さんには息で「ママ」。それが最期の言葉になった。

信博さんは、治療法の選択など「これでよかったのか」という後悔にさいなまれた。亡くなって約1カ月。夢に出てきた佑樹さんに「パパが選んだ道は正しかった?」と尋ねるとにこっと笑った。

病と闘う家族を支援する施設

信博さんは、最期の時間を送る佑樹さんとしっかり向き合えたのは病院が近いだけでなく、祖父母や兄嫁ら家族の協力が大きかったと振り返る。
一方で、佑樹さんの闘病生活を支える中で、以前から気になっていた子ども向けホスピスの必要性も痛感した。明日香さんの高校受験が治療と重なり、彼女にもさみしい思いをさせたのではないかという思いもあった。

「自分たちは環境に恵まれていたが、それでもつらかった。核家族、シングルマザーなど、なかなか思うように時間が取れない人もいるのではないか。そうした人の支援がしたい」。

佑樹さんが亡くなって約3カ月後の12月5日、安曇野市で病気の子どもと家族のための患者家族滞在型施設「マザーハウス」を運営する一般社団法人「笑顔の花」代表理事の茅房栄美さんら4人と「信州こどもホスピス実現プロジェクト」を立ち上げた。

プロジェクトの取り組みをフェイスブック上で発信。チラシも作り、病院などに置いてもらったり、自分たちで配ったりする。来年2月6日には、豊科交流学習センターきぼうで、信州こどもホスピスシンポジウムを開く予定。今後、クラウドファンディングを通じて資金や協力者を募る方針だ。 

信博さんによると、子ども向けホスピスは全国的にもほとんどなく、現在、横浜市に建設中の「横浜こどもホスピスうみとそらのおうち」を手本にしたいという。「息子の死を無駄にしたくない」。その思いをよりどころに、県内への子ども向けホスピス設立実現に向けて歩みを進めていく。 

白鳥さん
℡090・5516・0723